「自分で考えろ」と言える、強さと優しさ。

 

私は、普段からTVドラマや映画は見ることは少ないのですが、結婚をしてからは妻が好きなのでよく一緒に見るようになりました。

そんな中、織田裕二主演の「SUITS」が面白いと感じたのですが、SNSなどですごく酷評されているではありませんか。

 

「本家とぜんぜん違う!」
「こんな酷すぎるのリメイクは珍しい」

 

私が、この間のハゲタカリメイクで感じたことと、全く同じかもしれません。
人は最初に見たり感じたことが基準となって愛着を感じやすので、後から見た方を好きになることは少ないように思います。

私が好きな「白い巨塔」も、唐沢寿明/江口洋介を最初に見たので、元祖白い巨塔はどうも見る気が起きませんでしたが、両親は「重さがぜんぜん違う!」と言っていましたし。

 

そんな訳で、SUITS本家がamazonプライムで見れたので、どんなものかと見てみたのですが…、圧倒的に本家の方が面白かったですね。。
やはりドラマはテンポ、スピード感が大切だなと感じました。

日本版は、いちいち「会議のシーン」「裁判のシーン」と分断されたシーンの結合といったような形で、ちょっと場面化されすぎていると感じます。
反対に、本家は流れるように、まるで音楽のようにスムーズに話が進み、気づけば一話が終わっているという。

 

でも、これには言語の差もあるのかなと思っています。

日本が、一文字一文字が有声音。
「わ・た・し・は・に・ほ・ん・じ・ん・で・す」
一音一音が分割されているのです。

 

反対に、英語は有声音は限られていて、音よりもアクセントやイントネーションが大切。
「I’m Japanese」
短い時間で同じ意味を伝えられます。

 

つまり、言語の性質として、同じ時間に詰め込める情報量がどうしても違うのです。
ミュージカルも、日本語化すると歌詞が陳腐になってしまうのも、このことの良い例だと思います。

 

私が大好きなLes Miserableの定番曲「Music of the Night」の最後も、英語だと、

“You alone can make my song take flight
Help me make the music of the night”

 

ですが、日本語版では、

「二人は歌うのだ
夜の調べの中に」

ですから…。
もう、意味自体も変わってしまいますが、同じ意味を伝えるとなると超早口で歌うしかないですから、それもできない。
ドラマでも同じように、限られた時間に詰め込める情報量が少ないので、どうしてもセリフも説明臭く、テンポも悪くなってしまうのかもしれません。

でも、織田裕二さんが渋くてカッコ良いので、引き続き日本版も楽しんではいますが。

 

 

さて、そんな全く違う雰囲気のSUITSですが、共通して主人公の弁護士が部下に言うセリフがあります。
それが、とても共感するとともに、反省してしまうのです。

役の説明は置いておいて、仕事を依頼された中で、部下がことあるごとに尋ねるシーンがあるんですよね。

 

「私は、何をすればいいですか?」

「どうすればいいですか?」

 

これに対して主人公が決まって言うセリフ。

 

「自分で考えろ」

 

あまりに無責任な発言のようにも思いますが、実に強く、そして優しい言葉であると思うのです。

 

この言葉の裏には、どのような気持ちが詰まっているのでしょうか。

まず、自分の大切な仕事を、大切なクライアントを、細かく指示せずに部下に任せるということはとても怖いことでもあります。
中途半端な仕事をされて、せっかく積み上げてきた信用がなくなってしまうかもしれない。

 

実は、仕事は他人にやらせるよりも、自分でやってしまった方が何倍も楽なものです。
その大切な仕事を、一切のアドバイスなしに部下にやらせる。
これには相当な覚悟と強さが必要だと思うのです。

 

そして同時に、このように仕事を部下に完全に任せるということも、本当にできないと思っている人に対しては、いくら主人公でもしないはずです。
即ち、「こいつならできる」と信用されていることの証明でもあると思うのです。

しかし、このような気持ちは伝わらないもので、この手の発言は部下にとっては「無責任」「丸投げ」だと受け止められがちです。
実際にドラマでも、そのような態度に不満を感じるシーンもありました。

 

しかし、当然ながら、本人もこのように部下に不満を与えることも当然わかっているはずです。

仕事が失敗するかもしれないし、部下からの信頼も崩れるかもしれない。
そんなことがわかっている中で、なぜ「自分で考えろ」と言えるのか。

それは、シンプルに部下の成長のために尽きると思うのです。

 

この世に存在するあらゆる価値のある仕事の本質は「考える」ことです。

仕事というものの本質を裸にしてみると、「世の中には困っている人がいる」
「でも、自分だけでは解決できない」「お金を払ってでも解決したい」という
文脈だと思っています。

 

つまり、あらゆる仕事はソリューション(解決)だと思うのです。
その困っている人がどうやって悩みを解決できるかを考えてあげることこそ、仕事なのです。

考えることだけが、仕事をする能力の価値、と言い切ってしまってもいいほど、
自分の頭で考えることは仕事において欠かすことはできません。

 

しかし、知能の発達が特性であるはずの人間ですが、人はなぜか頭を使うことを面倒臭く感じがちです。

そこで、ちょっとした薄っぺらい壁に触れただけで「どうすればいいですか?」と他人に尋ねてしまいがちです。

そこで、毎回「ここはこうするんだよ」と答えを教えてあげることは、とても楽です。
教えて理解させる方が時間がかかりますから、その方がすぐ終わるし、仕事も正確で、
部下からも感謝もされますから。

 

そして、部下もその通りに体を動かせば、当然その課題は解決します。
そこで部下は、自分でできたと感じてしまうかもしれません。
しかし、仕事の本質は、前述の通り考えること。

方法を教えた時点で、その仕事はほとんど終わっており、「上司の仕事」になっているのです。
仕事は、体を動かすことが大切ではなく、「方法を考えること」が仕事なのです。
人に考えてもらってしまったら、その仕事はもう自分の仕事ではありません。

 

どのような能力も、自分の頭で悩んで、時間を消費して、血を流して解決したことしか身になりません。
人に考えてもらうのではなく、自ら血を流して考えることは、本当に大切なのです。

このような訳で、「どうしたらいいですか?」に対して「自分で考えろ」という言葉からは、
その人の「覚悟・強さ」と、そして部下を育てようという「優しさ」を感じてしまうのです。

 

毎回、質問に対して答えを優しく教えてあげれば、部下からも好かれますし楽でしょう。
しかし、その先に待っているのは、仕事を独り占めして評価と能力をつけて「一人だけ成長した自分」と、人に聞く癖がついてしまって「何もできないままの部下」です。

これは、何よりも残酷なことかもしれません。

 

「自分で考えろ」と言わないことで、不幸になるのは上司ではなく、部下です。
もし、そのような仕事を丸投げされるような扱いを上司に受けた時は、その言葉を「無責任」などといった受け止め方はせず、「信頼」と「優しさ」と感じて頑張ると良いと思います。

 

そして、私には、この強さと優しさが足りないことは、このドラマを見ていて痛感します。

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