いつだって自分は、「自分で選んだ道」の上に立っている。

 

あの人が羨ましい。
自分はこんなもんではなかった。

 

日々過ごしていれば、比較対象として周囲は常に存在していますから、このように思うことは多いと思います。

 

私も、何十人も人を雇って活躍している友達を見たり、何億円と資金調達をする人を見たり。

3年で50億円の会社にすると言い切るカッコいい若い方などと話すと、取返しのつかない選択をしてしまったと、戻れない道の上にいることに悶々とすることがたくさんあります。

 

でも。

 

自分は自分なりに頑張ったけど、ダメだった。

あの人は、運が良かったから。才能があったから。

あの人は、誰々に助けてもらったけど、俺は自分一人でやってきた。

 

人には、言い訳製造機のような性格が備わっていて、つい自分を慰めて正当化してしまう発想が生まれてきやすい気がします。

しかし、どんなに自分を慰めて、本能のままに言い訳を並べても。

事実は変わりません。

 

私も何度も自分を慰めて、言い訳をして、人のせいにして、今この程度の場所に立っていて思うことは。

これはすべて、自分で「こうしたい」と選んで、今ここに立っているんだなということです。

 

今、自分が羨ましいと思う場所に行くためには、当たり前ですがそこに行くためにやるべき手順があります。

誰かがワープをさせてくれてその場所に行けるのであれば、ぜひともお願いしたくなりますが、そんな楽な話があるはずがなくて。

 

着々とその手順を踏んだ人が、羨ましいと思える場所に立っていると思うのです。

そして、その手順は特別なことでも何でもなく、着々と日々滞ることなくやるべきことを遂行したか、しなかったのか。

それだけの差だと思うのです。

 

もしかすると、少し前の時代はそうではなかったのかもしれません。

「やりたくても、できない」ことが存在したり、「どんなことを、したか」よりも、組織のレールに沿わなければ、評価されない。

そんな時代もあったかもしれません。

 

しかし、パソコン一台で、人生をいくらでも変えられる今。

そのパソコン一台が、数万円で変える今。

数万円を稼ぐ手段がいくらでもある今。

 

「できなかったから、できない」ということは、限りなく無いに近いと思うのです。

 

毎日、夕食を食べたあとや。

朝一時間早く起きて、時間を作ったり。

 

時間を作って、無駄な時間を省いて、「これを続ければ、プラスに働く」とわかっているのに、やらなかった。

 

そんなことは、いくらでも思い浮かぶのではないでしょうか。

 

カッコつけていないで、もう少し粘れば結論が変わりそうな商談を、スマートを気取って終わらせたり。

今日踏ん張れば今日できてしまうことを、明日でいいやと思ってしまったり。

 

でも、それは「そうしたくて、自分がそう選んだ」結果だと思うのです。

 

自分が今立っている場所。

それは、世の中の流れでたまたまそうなってしまったのではないと思います。

 

僕は頑張って努力したけど、報われなかったからこうなった、わけではありません。

上司に恵まれなかったから、そうなったのではなく。

 

自分で、「こうなりたい!」と願って行動をした結果、「こうなった」今があるということだと思います。

今の自分は「なりたくてなった」自分だということです。

 

「ここに行きたい」という場所があるとしたら、そこに行くための手順を踏まなくてはなりません。

憧れのその場所にいる人は、自分を慰めずに、言い訳せずに、日々黙々と手順を踏んだ人だと思うのです。

その手順を踏むことを避けて、甘んじて進んだ道の上に、自分がいるんです。

 

そして、そう選んだのは、自分です。

いつだって自分は、そう望んだ自分の決断の連続が道となって、その道の上に立っているのだと思います。

 

自分は、いつだって過去の自分の理想。

そう思い込むことができれば、しばらく先に立っている自分の場所を、変えることができるかもしれません。

 

 

 

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