若者は、年長者が先生であり。年長者は、若者が先生。

 

サッカーの久保選手の、成長の著しさから学びます。

私は、FC東京を昔から応援していますが、今となっては日本を代表する久保選手ですが、ついこないだの今年の3月の開幕時点では、特別期待をしていない、いち選手でした。

 

もちろん、要所で普通の選手とは違う雰囲気はありましたが、昨シーズンまでは全然活躍もしていませんでしたし。
よくいる上手いだけで、埋もれる可能性もあるかなと感じていました。

 

それが、今シーズン。
開幕から、圧巻のプレーを見せて、一瞬で惚れ直しました。

毎節というほど、ベストイレブンに選ばれて。

あれよあれよという間に、日本代表に選ばれて。

 

わずか3か月後の6月には、いきなりレアル・マドリードに移籍してしまって。
そして、キャンプで評価を得て。

マジョルカに期限付き移籍しました。

今となっては、日本一、期待をされている選手です。

 

でも、これ。
わずか半年の出来事なんですよね。

僕らの年代からしたら、数年かかるような変化のスピード感。
時間軸は、若さ、で全く違うと痛感します。

 

でも、これは確かに「若いから」なのでしょうか。
確かに、そういうアドバンテージもあるかもしれません。

 

しかし、きっと、それだけではなくて。

人は知らずのうちに減速をしてしまって、「あいつは若いから」と言い訳にしてしまって、「自分はもう年だから」と、自らの可能性をセーブしてしまっている。

 

しかし、80歳を過ぎてからエンジニアになって称賛された若宮さんがいるように。
成長力は、本当に年齢って関係あるのかなと思うのです。

誰でもできることを、若くなきゃできないと、勝手に思い込んでるだけなのではないかと。

 

人にはサボることを正当化する言い訳収集機能が本能的にある(と思っている)ので、その言い訳として、若さを盾にしているのではないかと。

 

若い頃は、年長者の方々が先生でした。

しかし、年長者になって思うことは、若い人が先生だということ。

 

自分が忘れかけていた成長に対する貪欲さ。
損得勘定なしに、行動に夢中に時間をつぎ込める、純粋さ。

 

今の自分にとって、これ以上ない、先生です。

人は、いつだって変われる、ということを学ぶ最高の先生として、若い人がいると思うのです。

 

年功序列社会という、社会が勝手に成長していく「高度経済成長期にとって都合の良かったシステム」が思想として色濃く残っている日本では。
つい年を取ると、年下にマウント取ったり、年上の方が無条件で上なんだという発想が芽生えがちですが。

 

以前から言っているように、ITリテラシーがビジネススキルとして最重要となる未来(というか現在)を考えると、年功序列の価値観は、明らかに足かせです。

 

自分が年功序列社会で育ってきたとかは関係なくて。
若者>年寄りという人材価値の転換は、すでに「完了」しています。

 

以前、アラフォークライシスの投稿で話したように、私たちの今のアラフォーは厳しい世代のように思います。
年功序列社会に育てられながらも、いざ全盛期になると年功序列社会が終わっていた。

 

働き続けたからと言って待遇が上がり続けるわけでもなく、若者にどんどん抜かれていく。

 

でも、一方で、思うのです。
私の年代、アラフォー世代は、むしろ一番成長できる年代なのではないかと。

 

いわゆるミドル世代。
年長者という先生もいて、若者という先生もいる。

 

ミドル世代は、人生で一番、「先生に恵まれている」年代だとも思うのです。

まして、年長者の価値観と、若者の価値観のギャップは果てしない。
つまり、全く異次元の価値観を持った先生たちと、一度に触れ合える時期。

 

こんな恵まれた時期に、成長を求めないことは、本当にもったいないことだと思うのです。

せっかくの優れた多様な先生と触れ合えるこの年代。

もう一度貪欲になって、成長を欲するには、良いタイミングだとも思うのです。

 

久保選手の様に、もしかしたら半年で、嘘でしょ!と思うような変化ができるかもしれません。

 

年長者を、先生に。

若者を、先生に。

 

楽しんで、化けてやりましょう。

 

 

 

 

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